能力肯定できないと、他人任せの人生になる
自分の行動や考え方を良しとするのを能力肯定(こうてい)と呼ぶ。
肯定というのは「それで良い」ということで、能力肯定は自分にOKを出すと言うことだ。
「自己評価の心理学」という本には、自分の長所や短所を判断した上で、自分に肯定的な評価を与えることができるかどうかと言う風な定義が載っている。
これは自己愛にも似たように見えるが、自己愛とはどんな状態であっても、自分自信を愛することができるかどうか、自分自信のことが好きかどうかと言う評価で、少し違う。
能力肯定というのは、無条件に自分が好きかどうかではなく、自分の考え方や行動を良しと評価できるかどうかであり、ある程度は社会一般の価値観に沿ってないといけない。
ただし能力肯定もあくまでも自己評価であり、他人がどう言おうが「自分はイケてる」「自分はできる」と思えれば良いのだが。
この能力肯定は、人生を大きく左右するという。
というのも人生における様々な岐路で選択が必要なとき、能力肯定している人は、迷わず自分の意志や判断に従うが、自己否定している人は、自分の意志や判断に従えないからだ。
つまり能力肯定できない人は、自分のやりたいことをやるべきか、それとも他人のアドバイスに従うべきかで迷い、結局、他人の言う方に従ってしまう。
そうなると、選択は元から自分の意に沿わないわけだし、あとで後悔するのは九分九厘間違いないことになる。
ところがそこでも「自分で判断できない」ので、やり直ししたりする決断もできず、後悔後を絶たずと言う人生になってしまう。
能力肯定できない人生は、後悔後を絶たず
能力肯定できない人は、人生の岐路にさしかかったとき、重要な選択を他人任せにしてしまう。
自分自身で進みたい方向がわかっているのに、周囲の反対があるとそれを押し通せない。
なので自分の意志や欲求を抑えて、貧乏くじばかり引くことになったりする。
病気など、判断に専門知識が必要で、自分で判断できないような事であれば、専門家の判断に従ってもよいだろう。
しかし自分のやりたいことと言うのは、自分にしかわからないことだから、なにも家族や他人の望みに従う必要はない。
ところが後の人生に大きな禍根・悔いを残すのがわかっていても、自分の考えや行動を肯定的に捉えていない場合は、自分自身で選択したり決断することができないのだ。
そして進学・進路・就職・転職・結婚・離婚など、人生の様々な岐路で、意に沿わぬ選択を続け、毎日後悔ばかりの人生を送る羽目になるわけだ。
こういう他人の望む選択肢を選ぶタイプの人というのは、子どもの頃から親の期待に応えようとしていた人だという。
親の期待に応えようとして頑張る子どもというのは、いわゆる「良い子」であるが、自己評価は非常に不安定だ。
というのも及第点やゴールは親(という他人)が決めているわけで、自分勝手に自己評価して満足できないのだ。
自分で決めた目標であれば、目標を達成できなくても、頑張ったから良しとしようという妥協もできる。
しかし親(という他人)が決めたゴールでは、いくら頑張って目標を達成しても、本人には達成感がないのだ。
そのため、いくら努力しても報われず、いずれはどこかで疲れ果ててしまうことになる。