第三の鍵 己の感情に正直になる
多くの人間は、自分の気持ちにウソをつく。
自分の感情を押し殺して平静を保とうとする。
失敗して悔しいが、悔しさを否認する。
出世や昇格を逃して悔しいが、それも否認する。
怒りが起こっても、怒っていないと否認する。
こういう風に、様々な感情を押し殺す。
というのも自分の感情を公の場でぶちまけるのは、社会的は良くないことだとされているからだ。
つまり感情を表に出さないと言うことは、自分の感情や気持ちを認めないという防衛方法であると共に、社会的な評価を下げないための防衛機制でもあるわけだ。
ところがこういう風に自分の感情を否定するのは大変だ。
というのも喜怒哀楽それぞれに身体が反応するため、力尽くでこれらを押さえ込まねばならないからだという。
たとえば怒りの感情が起これば、目がつり上がり、相手をにらみつけたり、歯をグッとかみしめたり、拳を握ったり、足腰の筋肉に力が入る。
これが普通の正直な身体の反応なのだが、これを表に出さないように、別の筋肉を緊張させて感情を閉じ込める。
しかしそれは怒りを他人に見せないようにしているだけで、怒り自体はなくなっていないわけだ。
なので怒りを別の方法で発散させておかないと、怒りをずっと抑え続けねばならなくなる。
そして力尽くで感情を抑え込み続けた結果、頭痛がしたり、歯ぎしりがしたり、肩が凝ったり、腹や腰に痛みが出たりするというわけだ。
「腰痛は怒りである」と言う本が十数年前に流行ったが、怒りを抑えるために足腰の筋肉が常に緊張してしまうのだ。
人間は、筋肉を固めて感情を抑える
人間は、感情を抑えすぎると、身体が硬くなってしまうと言う。
というのも我々は感情を抑えるときに、無意識に筋肉を固めてしまうかららしい。
感情をぶちまけるのは、社会的には、みっともないことだとされているため、感情を表に出さないように、筋肉で身体をガッチリ固めるのだ。
たとえば、怒りがこみ上げて「この野郎」と怒りに震えているときは、眉間にしわがより、目がつり上がり、奥歯をかみしめ、固く拳を握っている。
歯を食いしばって相手をにらみつけたり、手足で机や床をバンバン叩きたくなる。
ところがそれをするとたしなめられるので、、怒りの表情を表に出さないようにする。
このとき我々が何をしているかというと、顔の筋肉や首肩の筋肉を緊張させて、表情が変わらないようにガッチリ固めている。
本来ならば力が入るはずの筋肉を脱力させ、別の筋肉に力を入れて怒りを抑えるのだ。
これが習い性となると、怒りを表に出しても良い場面でも、怒りに関連する筋肉が緊張せず、表情がドンドン乏しくなる。
怒りの感情が起こったら、怒鳴ったり、何かを投げたり、叩いたり、蹴ったりすることで、怒りを発散しないといけないのだ。
それをしないがために、慢性的なコリが生まれてしまい、身体のあちこちが常に痛む状態になるわけだ。