自尊心とは、自分を高く評価する、ということ。
自尊心とは、自分を高く評価するということだ。
周りの人間がどう思っていても、自分は価値がある人間だ。
自分はできるヤツだ。
こういう自己評価ができる人は、自尊心(プライド)が高いってことになる。
つまり自尊心の源になっているのは、自分自身に対する高い自己評価ってことで、自分を高く評価するからこそ自信を持って行動ができるし、他人に対しても堂々と自分の意見を言える。
ただしこれはあくまでも個人的な自己評価であり、他人から見た客観的な評価ではない。
そのため、自己評価と客観評価の食い違い・ギャップが大きいと、「うぬぼれ」以外にも様々な問題を引き起こすということになる。
自己評価が高いだけでは、自己主張ばかり強くて、中身は何にもないということになるので、ただの厄介者なのだ。
ではこの自己評価は、どのようにできているのか。
フランスの精神科医であるクリストフ・アンドレとフランソワ・ルロールが著した「自己評価の心理学」という本によると、自己評価を形作っているのは、「自己愛」「能力肯定」「自信」の3つだという。
自己愛とは「自分のことが好きかどうか」ということで、能力肯定とは「自分のやっていることが正しいと思っているか」ということ。
そして自信とは「困難な状況でもがんばれるか」ということだ。
「自己愛」「能力肯定」「自信」は別の評価
フランスの精神科医であるクリストフ・アンドレとフランソワ・ルロールが著した「自己評価の心理学」という本によると、自己評価を形作っているのは、「自己愛」「能力肯定」「自信」の3つだという。
自己愛とは、自分のことを愛せるか、自分のことが好きかということ。
能力肯定とは、自分の考えや行動が、正しい考えや行動だと思っているかどうか。
3つめの自信とは、難しい局面でも、何とか乗り切れると信じて行動できるかということ。
これら3つの要素は、それぞれ別の自己評価であり、一人の人の中でも項目ごとに評価が分かれる。
たとえば自分のことは大好きだけど、自分のやることなすこと間違ってばかりだと思っている人もいる。
自分のことは大嫌いだけど、自分のやることや行動は妥当で正しいと思っている人もいる。
さらに自分のことも嫌いだし、行動もあまり良くないと思っていても、何とかなると思って暮らしている人間もいる。
高級住宅街に家を持つ裕福な老夫婦でも、老い先を悲観してなぜか自殺してしまう夫婦もいれば、狭いボロアパートに住んで、毎月借金の返済に追われつつも、最後は何とかなるだろうと思って生きている年寄りもいる。
自己評価は低くても、実際に生きてきた経験から、まあ大丈夫だろうという客観的な結論を引き出すことができれば、なんだかんだ言いながらも生きていけると言うことらしい。
なのでこの自己愛・能力肯定・自信の3つのうち、最後の自信さえあれば、人は生きていけるし、さらに自己評価の基準を自分自身で下げることで、自己評価を改善することだってできる。