マッチング仮説は、結婚相手にも通用するのか
マッチング仮説とは、恋愛や結婚相手に、自己評価に合った相手を選ぶという説だ。
簡単に言うと、ハンサムな男性は美人を選び、醜男(ぶおとこ)は地味な女性を選ぶということだね。
ただし美醜はあくまでも自己評価の一部であり、ハンサムな男でも自分の容姿に自信がなければ、地味な女性を選ぶし、逆に醜男(ぶおとこ)でも自己評価が高ければ美人にアプローチする。
つまり客観的な釣り合いで選ぶわけではなく、自己イメージに合った相手を選ぼうとするわけだ。
この自己評価にあった相手を選ぶと言う行動には、いろんな含意(ふくみ)があって確かに合理的だ。
というのもまず、自己評価にあった相手だと、交際を申し込む際に断られた時のショックが小さい。
たとえば自己評価が高い人であれば、たとえ断られても、やり方やタイミングがまずかっただけだなどと、失敗の原因を自分以外に求めるため自己評価は下がらない。
一方、自己評価が低い人であれば、「拒絶の恐怖」を避けるため、自分が受け入れられそうな相手にしか交際を申し込まないから断られる可能性が小さい。
そしてつきあい始めた後も、自己評価が高い男は、美人を連れ歩くことで自己評価を高く保てるし、自己評価が低い男は、地味な女性が相手だから、特にムリをして良い男ぶる必要がなく気が楽だ。
マッチング仮説は、結婚相手にも通用するのか
交際を申し込む相手は、自己評価に釣り合った容姿を持つ人だ。
さらに自己評価が低い人は、自分を受け入れてくれそうな人と言う条件が加わってくる。
自己評価が低い人は、拒絶される恐怖を避けようとして、相手に受け入れられるかどうかを考えるのだ。
しかし、長く恋愛関係を続けたい相手や、あるいは将来結婚したい相手となると、美醜はさほど問題にならなくなってくる。
というのもつきあいが長くなると、相手の自分に対する評価の方が重要だからだ。
そのため今度は、自己イメージを肯定してくれる人が、一緒に長時間いても心地よい相手になってくる。
たとえば自己評価が高い人の場合は、自分のことを、○○ができる、○○が優れている…と言う風にプラスで捉えているため、それをほめてくれる人をそばに置きたい。
一方、自己評価の低い人の場合は、自分のことを○○ができない、○○が劣っている…と言う風にマイナスで捉えているため、自分を批評してくれるような相手が欲しい。
もちろん自己評価の低い人も、最初は自分を褒めてくれる人が良いなと思っている。
自分のことをほめてくれる人と結婚すれば、自己評価は高くなるはずだから、やる気も出るし、積極的な人生を送ることができるかもしれない。
ところがここで、自己評価が低い人は、「この人の期待に応えられるかどうか」という不安や、「この人をだましているのかもしれない」という思いに陥るらしい。
あるいは、「この人は自分をほめているが、自分はそんなに褒められる人間ではないから、何かウラに魂胆があるに違いない」と考える。
そういう相手とは、たしかに長く一緒にはいられないよねえ。