正しい選択は、初めから決まっているわけではない
メニュー選びで時間がかかる人には、2種類のタイプがいる。
その場の雰囲気で選ぼうとするタイプと自分なりの選択基準を持たないタイプだ。
その場の雰囲気で選ぼうとしている場合は、誰かが何かを注文した後の反応から、自分の選ぶモノを決めるので、どうしても時間がかかってしまう。
たとえばハンバーグが食べたいと思っても、誰かがハンバーグを注文して、他の者がそれを馬鹿にしなければ、自分も同調してハンバーグを注文する。
しかし「えー、ハンバーグなんか頼むの?」なんて誰かが言うと、自分はハンバーグを諦めてしまうわけだ。
こういうタイプの人は、自分の食べたいモノを食べて満足するという選択肢を捨て、周囲から嫌われないという事を選択していると考えられる。
一方、自分なりの判断基準を持たないために、メニューを選ぶことができないタイプは、非の打ち所がない選択をしようとしている。
場の空気を読んでいるわけではないが、一番良い選択をしようとしているため、時間がかかる。
ところがそんな難しい判断は、考えれば考えるほどできなくなるから、結局誰かの選択に自分も乗るということになる。
こういうタイプの人は、選ぶ前から「正しい選択」と「間違った選択」が決まっていると考えているらしい。
最良の選択肢以外は失敗で、正解は一つしかない。
それを何とか選ぼうとするわけだ。
ところが正解というのは、あらかじめ決まっているモノではなくて、選んだ後に「良かった」「失敗した」という結果が出るものだ。
ハンバーグを食べたいと思って食べてみたが、なんか満足しなかったとか、選んだ後に答えが出る。
つまり選択が正しかったかどうかは選ぶ前にはわからないため、事前に最良のモノを選ぶのはムリだって事だ。
正しい答えは一つじゃない
最良のモノ・一番良いモノを選ぼうとすると、どうしても時間がかかってしまうし、選んだ後も後悔することが多い。
というのも、どの選択肢が一番良いのかは、選んだ後にならないとわからないからだ。
たとえばハンバーグが一番良いと思っても、他の人が楽しそうにパスタを食べていると、自分もパスタにすれば良かったなんて、後悔するようなことも起こる。
美味しいモノを食べて一人で「美味しいなあ」と思うよりも、まずいモノをみんなで食べて「これまずいねー」と言い合う事の方が、魅力的なケースだってある。
美味しいモノを食べて満足するのも正解だし、まずいモノをみんなで食べてキャアキャア言うのも正解で、どちらを良しとするかは価値観次第・本人次第なのだ。
なのでどちらを選ぶべきかという判断基準は、自分自身の中にしかなくて、それは何度も選択して経験を積まねばならない。
選んだ後にどのようなことが起こるのか、何度も経験することによって、自分の選択基準がハッキリしていく。
もちろん、いくら経験を積んでも、常に最良の選択ができるようになるワケではない。
ただ、大失敗を冒す確率が小さくなるだけだ。
そして一番大事なのは、自分が選択したあとに出る結果を、自分が受け入れられる覚悟があるかどうかだ。
失敗しても「まあ仕方がない」と思えるような選択ならOKで、失敗したあとの後悔が長引かなければ問題はない。