ダメな自分のを認められない人は、怒鳴る・わめく
親や周囲の者から愛されて育った人は、自分は愛される存在であると実感し、自己評価が高くなる傾向にある。
また勉強やスポーツに打ち込んで、それなりの結果を出した人は、客観的な実績で自己評価が高くなる。
しかしいくら自己評価が高くても、それが安定して高いかどうかは全く別の話だ。
自分が自慢できる分野での評価が、自分が思ったほど周囲から評価されなかったり、別の分野での評価が異常に低かったりすると、自己評価はどうしても不安定になるからだ。
自己評価が高い人であっても、客観的には、愛想は良いけど仕事も勉強もできないとか、逆に仕事や勉強はできるが愛想が悪かったりする。
こういう得手不得手を自分自信がハッキリ自覚して、それを素直に受け入れることができれば、自己評価は安定する。
ところが、なかなかそうは行かないのが普通の人間で、仕事や勉強ができたら異性にモテないとおかしいとか、周囲のモノからチヤホヤされるなら、仕事や勉強もできるはず、とか、違うジャンルの能力も高くないと恥ずかしいと感じるらしい。
そこで「自分は異性にモテる」とか、「自分は仕事ができる」と言い出す。
そしてそれをカラかったり、否定したりする人間が現れると、キレて烈火のごとく怒り出し、相手をやり込めようとする。
自己評価が高い人というのは、苦手分野であっても、自分が劣っていると言うことは認めたくないし、自分の価値が下がることを嫌うので、そういうことをするらしい。
そして少しでもその場が自分の思い通りにならないと、自分が全くの無価値になったかのように感じるらしい。
自己評価が高い人にとっては、「○○はできるが△△は全くできない」という評価は、高い評価を受けているとは思えず、悪い評価を否定するために自慢したり、怒鳴ったり、わめく。
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つまり自己評価が高いが不安定な人というのは、ダメな自分を認めることができないのだ。
自己評価が不安定になる理由
自己評価は高いが不安定な人は、自己評価を無理にでも高く保たねばならない理由を持っている。
たとえば親が自分に関心を示さないため、親の関心を引くために自分をアピールするなど。
そして親にアピールするには、できる子や良い子にならないといけないので、たとえば親が学校の成績を評価するのであれば、一生懸命勉強し、何が何でも良い成績を上げようとする。
特に最初に生まれた子どもは親を独占していた時期があり、弟か妹ができると、親をとられた気持ちになるため、それを取り戻すために頑張ったりする。
そこで学力は伸びるけれど、愛情はなかなか取り戻せないので、能力の自己評価は高いが、自己愛は低くなり、不安定になる。
さらに、いつまでも好成績を獲り続けることはできないので、ちょっとつまづくだけでも自己評価が下がることもある。
自分には勉強しかない、と思っているために、それがダメになると、他も全部ダメになってしまうわけだ。
逆に、学校の成績が悪くても、ほめてくれる親だと、能力の自己評価は低いが、自己愛が高い状態になる。
これも自己評価と客観評価に大きなギャップができるので、自己評価は高いけれど不安定な状態になる。
さらに、親の自己評価が高くて不安定な場合も、それが子どもに伝染してしまう場合もあるらしい。
一方、安定した自己評価をもつ子どもは、親が子どもの能力を正確に把握している場合だという。
あるいは親がいつも側にいて、親の気を引く必要が無い場合も、とくに何かを装う必要が無いので、自己評価は安定しやすいという。
また、親の自己評価が高く安定していると、子供もそれをみて真似するため、落ち着いた子供になるという。