自己評価が低い人は、弱いチームの方が挑戦しやすい

自己評価は成功によって高まる。

 

なのでたとえレベルが低くても、挑戦して成功することが必要だ。

 

自分に見合わないレベルで勝負するのは、成功する確率が低すぎるので、自己評価を上げるのには役立たない。

 

勇気を振り絞って挑戦したとしても、全く成功しないから心が折れてしまう。

 

つまり、レベルが違いすぎて、何もできないような環境より、やる気が起きるような環境を選びそこで頑張ると言うことも重要なのだ。

 

やる気が起こる環境とは、少し頑張れば成功できそうな環境で、あともうちょっと努力すれば良いレベルだ。

 

実際、自己評価が低い人は、高いレベルのグループの中で競い合うよりも、レベルが低い場所で安定した地位を保ちたいと考える。

 

たとえばサッカーは好きだが下手な場合、強いチームでベンチにも入れない環境より、弱いチームで試合に出ることを選ぶ。

 

弱いチームなら、下手でも引け目を感じないし、実際に試合ができて、サッカーを楽しめる。

 

実戦で得られる知己や経験は、ベンチやスタンドでは得られないものだから、強いチームにいるより学ぶことは確かに多い。

 

また自分のレベルに合ったチームに所属すれば、成功すれば自己評価を上げるし、失敗もチームメイトと分かち合えるため、自己評価をあまり下げない。

 

自己評価が低い人にとっては、成功で得られる賞賛より、失敗で負うダメージを軽くするほうが大事なのだ。

 



自己評価は考え方次第。問題は努力するかどうか

自己評価というのは、あくまで相対的なモノであり、合格レベルは自分で決めるものである。

 

なので高いレベルに挑戦するか、低いレベルで頑張るかは、それぞれの個人が勝手に選べば良い。

 

低いレベルで「自分はできる」と思っても良いし、高いレベルで頑張ることを誇っても良い

 

どのレベルであっても努力を続けるのであれば、自己評価はさほど落ちないはずだから。

 

問題なのは、努力しないで自己評価を高めようとすることだ。

 

これは「準備してなくても成功した」という演出で、「努力してないのに成功するなんて、なんて俺はスゴいんでしょ」というような事を狙っているわけだ。

 

『自己評価の心理学』という本によると、フランスやイタリア、スペインなどのラテン系国家には、こういうタイプの人がけっこいるらしい。

 

彼らは、辛抱強い努力による成功よりも、才能やひらめきによる成功の方が、遙かに高い価値があるという風に考えるらしい。

 

つまり彼の地では、勤勉な人間よりも、才能に恵まれた人間の方が社会的評価が高いため、こういう自己評価の高め方をするわけだ。

 

もちろん失敗したときの言い訳として、そういうことを言っている可能性も高いが。

 

一方、イギリス学生などは、努力したことを隠さず、努力が成功につながったことを誇りにする。

 

根気よく努力すること自体に価値があるという文化圏では、努力して成功することを評価する一方で、天賦(てんぷ)の才能で成功することには価値を認めない。

 

こういう風に、文化圏によって評価の基準が異なることも、自己評価を高くしたり低くする原因になる。

 


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